白洲次郎と妻正子のお墓を訪ねて~三田市心月院~


みなさんは白洲次郎という人物をご存知でしょうか?

吉田茂の懐刀として戦後日本の復興・独立に「舞台裏」から尽力した白洲次郎。

GHQからは「従順ならざる唯一の日本人」と言われ、独立と復興に道筋をつけると、躊躇なく表舞台から去っていった大和魂と英国流ダンディズムとジェントルマンシップの持ち主です。

そんな白洲次郎のお墓が兵庫県三田市にあるということで、行ってきました。

白洲次郎が眠っているのは三田市の心月院

心月院

白洲次郎のお墓があるのは、兵庫県三田市にある心月院というお寺です。

心月院の駐車場

山門の隣に、20台ほどの無料駐車場があります。

心月院の山門

駐車場の隣にある立派な山門。

心月院の山門の案内板

山門は天正13年(1585年)の創建ということで、歴史を感じます。

心月院の本堂

山門をくぐり10メートルほど進むと、正面に本堂があらわれました。

心月院の本堂の案内板

本堂は天明6年(1786年)に火災で焼失しましたが、同年11月に再建され現在に至ります。

心月院の本堂

本堂は約100帖の広さを有し、釈迦牟尼仏、文殊菩薩、普賢菩薩をお祀りしています。

心月院の本堂の白洲次郎の資料

本堂には、白洲次郎に関する資料やリーフレットがたくさん置かれていました。

白洲次郎の家系図

白洲次郎の家系図

白洲家の家系図です。

白洲次郎の家系図

家系図をよく見ると、麻生太郎元総理の名前を発見!

白洲家は、麻生家とも縁戚関係にあるんですね。

まさに華麗なる一族。

黎明の風のパンフレットとサイン

2008年に宝塚歌劇団宙組で上演された「黎明の風」のパンフレットやサインも置いてありました。

黎明の風のポスター

白洲次郎を演じたのは専科の轟悠さん。

カッコイイですね。


心月院の基本情報

心月院の案内板

名称:清凉山心月院

住所:兵庫県三田市西山2丁目4−31

TEL:079-562-4310

駐車場:あり(約20台分、無料)



白洲次郎のルーツは兵庫県三田市?

白洲次郎のお墓が兵庫県三田市の心月院にあることから、次郎と三田市には深い関係があったように思われますが、実は次郎自身は三田市で暮らしたことはありません。

白洲次郎の家系図

白洲家は代々、三田藩に仕えた儒学者の一族であり、次郎の祖父や父は現在の三田市屋敷町で生まれ育ちました。

しかし、次郎は芦屋で生まれ、少年期を神戸で過ごしています。

白洲退蔵の説明文

白洲次郎が三田市と深い繋がりを持つのは、彼のルーツが三田にあるから。

白洲文平の説明文

白洲家は三田の地で長い歴史を刻み、その血脈が次郎に受け継がれていると言えるでしょう。

白洲次郎の説明文


白洲次郎と妻正子のお墓を訪ねて

心月院の墓地

白洲次郎のお墓は本堂左手にある坂を上がった先にあります。

心月院を訪れるのは初めての私。

この日は土曜日でしたが、誰もおらずひっそりとしていました。

心月院の略図

心月院の境内の略図です。

白洲次郎の案内板

本堂の左手にある白洲次郎と正子の案内標識。

白洲次郎のお墓の案内板

途中には「白洲次郎・正子の墓」という案内板があり、迷うことはないでしょう。

参考までに本堂から白洲次郎のお墓までの動画を張っておきます。


本堂から徒歩約2分。

こちらが白洲家のお墓になります。


かなり大きな白洲家の墓地です。

白洲次郎の墓地の桜の木

白洲家の墓地の中央に植えられた桜の木。

春になると満開の桜が美しそうです。

白洲次郎と妻正子のお墓

こちらが白洲次郎・正子夫婦のお墓です。

二人の墓は、円墳形の土墳の上に建てられており、左に正子、右のやや高い墓には次郎が眠っています。

ちなみ次郎のお墓をデザインしたのは、妻の正子。

次郎より8歳若い正子の墓碑を8センチ低くして、バランスを取っているそうです。

白洲次郎の墓

次郎のお墓の正面には、不動明王の梵字が彫られていました。

次郎が78歳のときに書いた遺言

「葬式無用、戒名不用」

のとおり、お墓に戒名などは書かれておらず、シンプルなデザインです。

白洲次郎の墓の裏側

次郎のお墓の裏にまわると

「昭和六十年十月二十八日 八十三才 白洲次郎」

と次郎の氏名や命日、享年が彫られていました。

白洲正子の墓

こちらは正子のお墓です。

正面には十一面観音の梵字が彫られていました。

白洲正子の墓の裏側

正子の墓石の裏にも

「平成十年十二月二十六日 八十八才 白洲正子」

と氏名と命日、享年が彫られていました。

白洲次郎・正子のお墓以外にも、次郎の父・文平や次郎の祖父・退蔵のお墓もありました。

白洲退蔵の墓

こちらは白洲次郎の祖父・退蔵のお墓です。

白洲文平の墓

こちらは次郎の父・文平のお墓です。

退蔵や文平のお墓は、よく見かける普通のデザインでした。


ちなみに正子さんのお墓の左隣りには

PEPPY

と彫られた洋風な墓石がありました。

白洲兼正の墓

「これは白洲家の愛犬のお墓かな?」

と思った私。

帰ってから調べてみると、これは白洲次郎・正子夫妻の次男である白洲兼正さんのお墓でした。

失礼しましたm(_ _)m

このお墓は兼正さんの息子(白洲次郎の孫)である白洲信哉さんが建てられたそうで、PEPPYというのは、兼正さんのニックネームだそうです。

ちなみに白洲信哉さんですが、お祖父様の次郎にそっくり!

ダンディで素敵なお方です。


白洲家の墓参帖とお線香

兼正さんのお墓の隣には、白洲家の墓参帖とお線香が置かれていました。

私も白洲次郎と正子さんの墓前にお線香をあげさせてもらいました。

まとめ

今回は、戦後日本の民主化に大きな足跡を残した白洲次郎と、その伴侶である正子夫人のお墓をご紹介させていただきました。

自らの信念を貫き、日本の伝統と誇りを守りながらも、新しい時代への適応を説いた白洲次郎。

このお墓に、激動の日本を救ってくれた気骨ある男が眠っていると思うと、胸が熱くなりました。

皆様もぜひ一度、お参りにいらしてください。

きっと、現代を生きる私たちへの何かしらのメッセージを感じ取ることができるはずです。



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