宝塚の「失われた風景」を探せ!~ 古写真で紐解く宝塚の歴史~

宝塚市では現在、宝塚市制70周年記念行事として

「この写真、ご存知ですか?」

というイベントを開催中です。

参照サイト:宝塚市公式HP宝塚市制70周年記念行事「この写真、ご存知ですか?」

このイベントは、中央図書館に保管されている数多くの写真資料の中から撮影場所や時期が特定できず、資料として活用し難いものを市民の皆さんの協力を得て、解決しようというもの。

今回、公開された写真は全部で10枚。

その中から3枚をピックアップしてご紹介します。


1枚目の写真はこちら。

宝塚市のホームページには、この写真の説明として

「鉄道沿線(宝塚沿線カ)明治末~昭和初め頃」

と記載されています。

右手に線路が、奥に駅舎と思われる建物があり、どこかの駅前であると考えられます。

と書かれていました。

Yahooニュースのコメントを見ていると、どうやらこの写真は阪急仁川駅を南から撮影したものだそうです。


ストリートビューをみると、駅の奥にみえる山の形や雰囲気もそっくりです。


護岸の石垣の形もよく似ているので、仁川駅前で撮影された写真に間違いないでしょう。


2枚目の写真はこちら。


駅のホームの写真です。

ホームページには、この写真の説明として

「国鉄宝塚駅ホームカ 昭和24年(1949)~29年頃」と記録されています。

同時にご提供いただいた写真から、宝塚市域のものと考えられます。

ホーム等から国鉄(現在のJR)の駅と考えられますが、確証が得られません。

と書かれています。


撮影場所のヒントですが、写真の左手に跨線橋があるので、阪急ではなく国鉄宝塚駅で間違いないでしょう。

阪急宝塚駅には、跨線橋はありませんでしたからね。

画像引用:鉄道写真家 岩堀春夫のblog2

鉄道写真家 岩堀春夫さんのブログにも、国鉄宝塚駅の跨線橋の写真がありました。

跨線橋の位置から判断すると、大阪行きのホームから福知山行きのホームを撮影した写真だと思いますが、どうでしょうか?

ホームも今と違って、とても低いですね。


3枚目の写真はこちら。


ホームページにはこの写真の説明として

「コンポストによる肥料試験園」と記録されています。

田畑に囲まれていますが、奥に鳥居が見えます。

長尾地域と推定していますが、決め手がありません。

と書かれています。


この写真はなかなか分かりづらいですが、鳥居と送電線がヒントになりそうです。

まず奥に見える鳥居ですが、この写真が長尾地区で撮影されたものだとすると、八王子神社の鳥居ではないでしょうか?



昔の写真を拡大してみると、鳥居の形や灯籠がよく似ています。

次に写真左手の送電線は、鳥居が八王子神社のものだとすると、泉町にある送電線の可能性が高そうです。



鳥居と送電線が正しければ、この写真の撮影場所は、現在の中村産婦人科近くの道路から撮影されたものだと思います。



今回、ご紹介した写真をみて

「この場所だ!」

と分かった方がいれば、中央図書館へご連絡並びにコメントで教えていただければ嬉しいです。

皆さまのご協力をお待ちしています。




コメントを投稿

0 コメント