先日、京都の晴明神社でご祈祷を受けた際、すぐ近くにある一条戻橋にも立ち寄ってきました。
一条戻橋は、京都でも特に伝説や歴史が色濃く残るミステリースポットとして知られています。
安倍晴明が式神を封印していたとも伝えられ、平安時代から人々の興味を引き続けてきた橋です。
一条戻橋とは
一条戻橋は、晴明神社から南へ100メートルほど下った一条通の堀川に架かる、長さ6メートルほどの小さな橋です。
794年の平安遷都とともに架けられたといわれ、現在もほぼ同じ位置に残っています。
橋の名前には多くの由来や伝説があり、河竹黙阿弥の歌舞伎『渡辺綱と鬼女』の舞台として登場するほか、豊臣秀吉が千利休の木像を磔にした逸話とも関わっています。
堀川は当初、貴族の屋敷へ清流を引き込む運河として整備されたもので、橋は時代ごとに何度も架け替えられてきました。
一条通は平安京の北端を東西に走る重要な通りで、都と外界を分ける境目であり、同時にこの世と異界をつなぐ境目とも考えられていました。
一条戻橋の基本情報
住 所:京都府京都市上京区主計町一条通り
一条戻橋の伝説
この橋はもともと「土御門橋」と呼ばれていましたが、平安時代の漢学者・三善清行にまつわる逸話が名前を変えるきっかけになりました。
清行が亡くなり、棺が土御門橋を通ろうとしたとき、修行中で立ち会えなかった八男・浄蔵が駆けつけ、父に別れを告げられなかったことを嘆きました。
浄蔵の
「どうか父が息を吹き返してほしい」
という願いが届いたのか、清行はあの世からこの世に戻ったといいます。
この「この世に戻る」という伝承から、土御門橋は「一条戻橋」と呼ばれるようになったそうです。
また、この橋には戦時中に「無事に家に帰れますように」という願いを込め、兵士たちが戦地へ向かう前に渡ったという習わしもあったそうです。
さらに安倍晴明の式神にまつわる伝承も残っています。
晴明の妻が式神の姿を恐れたため、普段は橋の下に住まわせていたといわれ、晴明自身もこの橋の下で式神を使った占い「橋占(はしうら)」を行っていたと伝えられています。
伝説の一条戻橋を訪れて
私が一条戻橋を訪れたのは、五山の送り火の当日の午前10時。
夏の強い日差しが照りつける中、晴明神社から歩いて5分ほどで到着しました。
橋の上に立つと、わずか6メートルの短さながら、時代を超えて続く重みを感じます。
川沿いは整備されており、昔の写真や説明板も設置されていました。
橋の下を流れる堀川は澄み渡り、さらさらと響く水音が真夏の暑さをわずかに和らげてくれます。
上流側へ回り込み、橋を背景に写真を撮ってみました
さらに少し進むと川沿いにはクスノキが茂り、昼間は爽やかな木陰をつくっていますが、夕暮れや夜ともなれば、どこか異界を思わせる雰囲気が漂いそうです。
「かつてここに式神が潜んでいたのかもしれない」
そう思いながら橋を見上げると、どこからともなく冷たい気配が頬をすり抜けていきました。
まとめ
今回は、京都の一条戻橋の伝説や訪れた感想をご紹介しました。
実際に訪れてみると、一条戻橋は小さな橋でありながら、数多くの伝説や歴史が重なり合う特別な場所だと実感しました。
この橋は、目に見える風景だけでなく、過去から積み重なってきた物語や時間の重みを感じさせてくれます。
京都の晴明神社を訪れる際には、一条戻橋にもぜひ立ち寄ってみてください。
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