縁切榎は、江戸時代から名高い板橋宿の名所のひとつ。
初代の榎は旧中山道上宿の「岩の坂」に所在した旗本近藤石見守抱屋敷内にあり、大六天神のご神木として祀られるようになりました。
屋敷の垣根には榎と槻(つき)の木が並び、人々はいつしかそれを「えのきつき」と呼ぶように。
やがて「えんつき」、つまり「縁尽き」という語呂合わせが広まり、縁切りの神木として信仰されるようになりました。
花嫁行列を迂回させた縁切榎の伝説
縁切榎の前を花嫁行列が通ると「必ず不縁になる」との言い伝えがありました。
そのため、寛延2年(1749)の五十宮、文化元年(1804)の楽宮、文久元年(1861)の和宮の下向行列は、この道を避けて根村道へ迂回したと記録されています。
当時、宿場の人々が榎を菰(こも)で覆ったとも伝えられています。
初代の縁切榎
初代の榎は現在地から南へ約30メートル下がった場所にありました。
現在「八百善」という八百屋さんの前に建つ4階建ての店舗兼アパートのあたりが旧跡とされています。
初代榎は周囲6メートルほどの大木でしたが、明治時代に焼失。
その枯株の一部が、現在も祠の中にご神体として祀られています。
明治時代には焼けた榎の隣に茶店ができ、板橋名物として旅人をもてなしたそうです。
二代目の縁切榎
その後、2代目の榎が初代榎の隣に植えられました。
しかし再開発により移転を余儀なくされ、昭和44年(1969年)には祠堂が取り壊され、初代の姿も完全に消えました。
現在、二代目の御神木が石板に入れられた状態で境内に展示されています。
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2代目縁切榎 |
石板には、二代目の縁切榎が埋め込まれています。
「スマホの待ち受けにするとご利益がある…」
とも言われているそうです。
ちなみにこちらはご神体なので、削らないように!
三代目の縁切榎(現在の御神木)
昭和43年(1968年)に境内を現在の場所に移し、小さな祠(ほこら)が建立され、若い榎が植えられました。
これが現在の縁切榎(3代目)です。
近代以降は、「悪縁を切り良縁を結ぶ」ものに転じ、現在も人々の信仰を集めています。
昭和51年には、地元の方々の協力により榎保存会(第六天神奉賛会)が結成され、保存活動が続けられています。
現在の縁切榎とご利益
境内に入ってすぐ右手にあるのが、現在の御神木・三代目の縁切榎です。
幹にはプラスチック製の菰(こも)が巻かれています。
これは、参拝者が樹皮を削り取って持ち帰るのを防ぐため。
昔から、庶民の間では男女の悪縁を切りたい時や断酒を願う時にこの榎の樹皮を削ぎとって煎じ、ひそかに飲ませるとその願いが成就すると信じられてきました。
覆いのない上の方をよく見ると、最近、樹皮が削られた跡が残っていました。
きっと、こっそり削りに来る人が後を絶たないのでしょう。
「今でも誰かに縁切榎の樹皮を煎じて飲ませようとしているのかも…」
そう思うと、少しぞっとしますね。
縁切榎は「悪縁を切り良縁を結ぶ」御神木
近代になると、縁切榎は「悪縁を断つ」だけではなく、「良縁を結ぶ」力もあると信じられるようになりました。
そのため、今では恋愛や人間関係に悩む人だけでなく、結婚や就職、健康など新しいご縁を願う人たちも訪れています。
江戸時代から続く信仰は、時代が変わっても大切に受け継がれてきました。
縁切榎は今も、多くの人にとって「人生を切り開くパワースポット」として親しまれています。
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縁切榎(榎大六天神)の基本情報
所在地:東京都板橋区本町18
アクセス:都営三田線「板橋本町」駅から徒歩5分
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